愛するひとを見送って・・・

パートナーを失ったあなたに前向きに生きるためのサプリメント

いい加減に生きてみようか

こんにちは、みやびです。

 

離れて暮らしている長女から仕事が年内
あと1日というところで風邪でダウンし
て休んだとの知らせがありました。

 

私は、仕事を終えてからお弁当、フルー
ツジュースを購入して長女のマンション
に向かいました。

 

思ったより元気そうな長女にホッとしな
がら購入したお弁当を二人で食べまし
た。

******************

 

長女がこのマンションに住み始めて来年
で10年になります。

 

残業が多い職場で電車通勤の長さが耐え
られないということで都心近くのマンシ
ョンに越しました。

 

家賃と大学生のときに借りた奨学金の返
済もあり、楽ではない生活ですが長女
は、一人暮らしを選びました。

 

一人暮らしをして間もない頃、とても心
配な時がありました。

 

携帯に電話してもメールをしても返信が
ありません。

 

時間は、夜の10時です。

 

私は、不安になり落ち着かなくなりまし
た。

 

普通に考えれば、残業して忙しいのかも
しれない、友人と食事しているのかもし
れない等色々考えられるわけです。

 

でも私は、主人が行方不明になったとき
のトラウマがあり、コール音が鳴るだけ
の携帯に冷静でいられなくなりました。

 

お風呂に入り、パジャマに着替えていた
のに着替えて家を飛び出して駅に向かい
ました。

 

長女のマンションまでは、電車で約1時間
かかります。

 

いまからいくと最終電車に間に合わなく
なるかもしれないと思いながら駅へ向か
いました。

 

電車に乗ってからも長女にメールを出し
続けました。

 

NPO で知り合った、お坊さんにもメール
しました。何かあったらかけつけますか
らとメールを返信してくださいました。

 

都心に向かう22時台の電車は、ガラガラ
でした。

 

ようやく長女のマンションに辿り着い
て、合鍵を使ってオートロックのドアを
開けて長女の部屋のチャイムを鳴らしま
した。

 

反応がないので合鍵をドアの鍵穴に入れ
て回しました。

勢いよくドアを開けようとするとガッと
途中でドアが動かなくなり中からドアチ
ェーンがかけられているのが見えまし
た。

 

私は、娘の名前を大きな声で呼びまし
た。

 

・・・・・・・・・。

 

返事がありません。

 

部屋の電気は、ついています。

 

何度も何度も娘の名前を呼びました。

 

夜遅くにマンションに私の声が響きま
す。

 

20分、経った頃でしょうか・・・。

 

のそりと長女が奥から出てきました。

 

ドアのチェーンを力なく外しました。

 

私は、娘を思い切り抱きしめました。

 

長女も私も泣いていました。

 

そっと部屋を見ると服、スーパーの袋、
沢山のチラシが床一面に散らかってい
ました。

 

「どうしたの?」と聞くと「もう疲れ
て何も考えられなくなった」と言いま
した。

 

そして「死にたくなった」と言ったの
です。

 

そして人生が長すぎるとポロポロ涙を
こぼすのです。

 

自死遺族は、後追いを考える率が高い
のです。苦しくなったら死ねばよいの
だと学ぶのです。

 

死が身近になってしまうのです。

 

私は、長女をただただ抱きしめまし
た。

 

生きててほしい

 

生きててほしい

 

お母さん、もう大丈夫、今なら最終電車
に間に合うからと言われ、後ろ髪を引か
れる思いで帰ったことを思い出します。

 

あれから9年、いまでもマンションのド
アの前に来ると、ドキドキすることが
あります。

 

あの時の残業が多い仕事は辞めて年収
は下がったけれど時間にゆとりのある
仕事に就くことが出来ました。

あの晩、胸騒ぎがして娘のマンション
に駆けつけることができて良かったと
思いました。

 

主人が亡くなった時に色々事務的な手
続きを頑張ってくれた娘は、どれだけ
の心の傷を抱えていたのでしょう。

 

私は、いつの間にか長女を頼りにして
いました。

 

ありきたりの言葉しか言えないけれど
親としてごめんなさい。

 

大きな苦しみを体験した分、今度は、
大きな喜びが待っているから。

 

人生って苦しいだけじゃない。

 

完璧を目指さなくていい!

 

良い人でなくていい!

 

嫌だったら逃げていい!

 

自分中心でいい。

 

大変な人生を演じて楽しんでいけた
らいいなあ。

 

一緒にいまのこの時期を生きましょ
う。

いい加減に。

いい具合に。

都合よく解釈して。