愛するひとを見送って・・・

パートナーを失ったあなたに前向きに生きるためのサプリメント

自由と孤独

こんにちは、みやびです。

 

セネカの「人生の短さについて」に触
れます。

 

人生は、短いのでなく、大半の人は、
浪費しているのだと言います。

 

どれだけ長く生きたかというより、ど
れだけ有効に人生を生きたかで時間の
長さが違うと言います。

 

 

そして振り返るに値する過去を持つこ
とが重要だと言います。

 

私自身、過去を生きることから脱却し
て、いかに現在を生きるか、それが大
切だと思ってきました。

 

それは、夫の自死という耐え難い過去
があり、その後の納得できない期間を
彷徨った過去があるからそう思うのか
もしれません。

 

過去には、眩く、煌めく時間も沢山あ
ったのです。

 

転んで泣いた幼い私を抱き上げる母の
ぬくもり、友人たちとときめきながら
恋の話をしていた時間、上京して勉強
した時間、夫にプロポーズされた時、
そして娘たちが生まれて育てた時間。

 

娘が夜中に熱を出して心配した時間で
すら懐かしく愛しい時間。

 

そんな幸せな過去をも思い出してはい
けないと、いまだけを生きることに専
念するのだと意識している自分がいま
した。

 

 

人生の時は、有限だと知りながら、私
たちは、それについて忘れてしまいが
ちです。

 

あたかもずっといまが続くかのような
錯覚を起こしています。

 

私は、夫が亡くなって暫くは、元気だ
ったのです。

 

怪訝に聞こえるかもしれませんが突然、
子供二人を遺されて生き抜かなければ
いけない事実があったのです。

 

そこには、躊躇する選択等なかったの
です。

 

あったのは、借金を返して娘たちと生
きていく現実だけでした。

 

人生の時間について問うこともありま
せんでした。

 

親類への借金を返し終わった時に喜び
を感じ、娘の卒業、入学等に喜びを感
じ生きてきました。

 

それぞれの娘たちが私の元を去ってい
きました。

 

私は、いまとても自由なのです。

 

そして夫が亡くなったばかりの時より
孤独です。

 

刹那的な生き方をして時間を過ごすこ
とに何の意味があるのかわかりません。

 

だからといって計画を立ててそれに従
うことが本当に充実した生き方なのか
もわかりません。

 

 

自由というのは、最大の幸せであり、
過酷な事でもあります。

 

自分らしさとは、一体どんなことを指
すのか、いまになって考えています。

 

私自身、一つだけ確定していることが
あります。

 

それは、自ら命を終えないことです。

 

これから痛みを伴う病気になるかもし
れません。

 

大きな悲しみ、苦しみがあるかもしれ
ません。

 

それでも私は、私の人生の最後まで生
きていこうとだけは、決めています。

 

夫に対する非難ではありません。

 

夫婦であっても考え方は、違って当然
ですから。

 

夫の自死から14年。

 

沢山の人に助けられて生きてきました。

 

とてもありがたいことです。

 

それでもいま私は、とても寂しいとい
うのが正直な気持ちです。