愛するひとを見送って・・・

パートナーを失ったあなたに前向きに生きるためのサプリメント

夫が自殺してしまった・・・

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突然、44歳で未亡人になってしまった!
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初めまして。

 

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12年前に主人を自死で亡くしたみやび
です。
先月、13回忌を終えたのを機にブロ
グを書く事にしました。

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いまから12年前の9月25日。
なんてことはない普通の朝だった。

私は、起きなくてはと思いつつ、あと
5分と布団にしがみついていた。

 

「行ってきまーす」

 

玄関から主人の声がした。

あれ?今日は、出かけるの早いなあ・
・と思いつつも惰性で私は、布団の中
から「いってらっしゃーい」と答えた。


それが永遠の別れになるとも知らずに。

 

その日の夕方、主人からメールが届い
た。
「仕事、徹夜になるからご飯いらない」

 

出向先で徹夜というのは、珍しくなか
ったので私は、いつものように返信し
た。

 

「夕食、お父さんの分も作ったよ!
もっと早くメールしてよ!」

 

長女は、大学の夏休みで友人たちとグ
アム旅行にでかけて、その日が帰国日
だった。

 その晩、長女は、グアムから帰ってき
た。
思い出旅行話は、夜遅くまで尽きなか
った。

翌日、私は、いつものようにパート先
の近所の書店に働きに出た。開店直後
に長女が店に現れた。

 

「お母さん、いまレンタカー屋さんの
人が家に来て、お父さんが夕べから借
りている車を返しに来ないって!」

 

急いで主人のケータイに電話した。コ
ール音が鳴るばかり。メールも出した。
返信は、全くない。


レンタカー屋に連絡を取り、仕事帰り
に謝罪しにいった。

 

白いバンを昨夜に借りに来て朝9時に
返却予定が何の連絡もないとのこと。
今まで何度か利用されているお客様
なので信用して貸し出したとのこと。

 

取引先の事務所に連絡したところ、主
人は、昨日から来ていないと言われた。

 

私は、主人の兄弟、友人、ありとあら
ゆる思いつく関係者に連絡してみた。
誰も知らないという。

 

次女がいつも朝、お父さんは私の部屋
に入ってこないのに昨日の朝は、入っ
てきて行ってきますと頭を撫でたから
おかしいなと思ったけど眠くてバイバ
イと答えたという。

 

夜、10時に管轄の警察署に「主人がレ
ンタカー借りたまま帰らない」と泣き
ついた。

応対した警官が言った。


「奥さん、行方不明者は、何万人もい
ます。そのうちふらっと帰ってきます
よ」

 

私は、只事ではないことを感じていた。
レンタカーを返さないで平気でいられ
る人でないことを知っていたから。

 

翌日の朝、警察から連絡が入った。
「念のため、捜索願いを出されますか
?」

 

仕事を休んで警察署に行った。
捜索願い調書作成のために質問に答え
た。

 

いなくなったときに着ていた服装は?
眼鏡はかけていますか?
身体の特徴は?
足の大きさは?
借金はありますか?

 

沢山の質問に答えながら私は、寝不足
もあり、ぼおっとしながら何故ここに
いるのだろうと不思議な感覚に襲われ
ていた。

 

次女は、中学3年生。週末は、希望して
いる都立高校の学校見学の日であった。
その予定をキャンセルして主人の実家
へ次女と出かけた。

 

お義母さんに事情を話すためだ。しか
し、同居しているお義兄さんに母には、
何も言わないでほしいと言われた。

 

主人がいなくなって一週間。


季節は、急に進んだかのように冷たい
雨が降った。

半袖で出かけた主人の事が心配でたま
らなかった。

 

主人がいなくなって8日後、仕事から
戻ったばかりの夜7時頃に家の電話が
鳴った。


警察署からだった。

 

悪いお知らせです。ご主人と思われ
る男性をお預かりしております。死
亡しております。ご遺体確認のため
いまから来てください。

 

私は、お父さんがやっと見つかった
という思いと、もう話が出来ないと
いう思いで倒れそうになった。

 

主人がいる警察署は、電車で1時間
かかる場所だった。

 

 長女は、アルバイトでいなかった
ので次女と二人で駅に向かった。

 

夢の中にいるようだった。
通勤ラッシュの混雑した電車の中
で私は、人目も憚らずに泣いた。

 

担当の刑事さんから事情徴収を受
け、遺体確認をした。

 

9月の終わりから10月にかけて8日
間、車の中にいて腐乱してますと
聞いていたのにそこにいたのはい
つもの主人だった。

 

いや、いつもの寝顔に見える変わ
り果てた主人がいた。

 

私が一番悲しかったのは、主人のカバ
ンと時計と携帯を返された瞬間だった。

それらは、彼が肌身離さずどんな時も
持ち歩いていたものだった。最後に渡
されたビニール袋の中身・・・。

 

結婚指輪だった。

 

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今から34年前の11月。
軽井沢の教会で私たちは、式を挙げた。

 

病める時も、健やかなる時も
富める時も、貧しき時も、
愛し、敬い、慈しむ事を
誓いますか?

 

お互いにはい誓いますと指輪を交換し
た。

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私は、悲しい。

私は、寂しい。

私は、愛する人を救えなかったのだろ
うか。

私は、愛する人に置いて行かれたのだ
ろうか。

 

 私の人生に主人が自殺することなんて

認めたくない!!
恥ずかしいし情けない!!

 

辛いことを言えない、相談出来ない妻
の存在って何だろう。

子育て途中で放棄された私は、何だろ
う。

 

いや、私が彼を追いやったのではない
か。

まだまだ話し合いしたいことあったの
に。

 

さよならも言わないで逝ってしまうな
んて。


どんな時も一緒にと誓ったではないか。

 

 私たち親子三人は、小さなアパートに
引っ越しをした。

 

ある日、何気なく見た新聞の記事に目
がいった。

自死遺族支援のNPO の記事であった。
記してあった番号に思わず電話してみ
た。

 

後々、そのNPOに色々な面で助けられ
ることになった。

 

じ・し・い・ぞ・く

 

慣れない響きであるが私は、この言葉
を背負っていくことになる。

 

NPO で出会った方々に励まされた。中
には、同じ自死遺族の方も沢山いた。
親が自殺したという子供たちもいた。

 

私は、数年後、そのNPOの要請を受け
て、行政や地方議員に向けた集まりで
自死遺族代表として自死遺族の気持ち
を話す活動も始めた。

 

話続けるうちに沢山の遺族に出会った。
中には、再婚された方、婚活している方
もいた。それでも孤独と戦っている方も
大勢いる。

 

伴侶を亡くしたことで自分を責めていら
っしゃる方もいる。表に出てこなくなる
方もいる。

 

病死であれ、自死であれ、ずっと続くと
思っていたパートナーとの暮らしが強制
終了するのは、辛いこと。

 

その思いを吐ける場所を作りたいと思い、
このブログを開設することにしました。
いずれは、皆さんとお茶会等出来たらと
思っています。

 

 

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2年前に私は、メンタルヘルスマネジメ
ントの資格とEAPカウンセラーの資格を
取得した。

主人と同じように悩んでいる方に寄り添
いたいという気持ちと人が自殺に追い込
まれていく心理を学びたかったから。

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私たちは、この世に生まれて出会えたと
てもいつかは、必ず別れが来ます。

 

いつかは、私たちは、この世からいなく
ります。

 

生きているいま、この一瞬一瞬、同じ時
いること、出会ったことは、奇跡だと
いう
こと。

 

ずっと一緒にいられるだろうと思ってい
た大切なパートナーを失ってはじめて気
づく。

 

いま、大切なひとを失って辛くて、悲し
くてしんどいあなたに向けて私の懺悔の
気持ちも込めてこのブログで色々伝えて
いきたいと思っています。

 

愛する人を喪う体験は、同じ体験をした
者相手でないとなかなか悲しみが吐けな
いと思います。

 

このブログを通じて同じ体験をした仲間
と語り合う場所にしていけたらいいなと
思っています。


嘆き悲しむのではなくて一緒に乗り越
え、笑顔になっていくことを目指しま
す!

 

これからよろしくお願いします。